傘ブルース

nomuch2008-04-13

傘が〜ない〜(陽水)
傘がなくなりました。わたしは傘を買うと、ビニ傘以外は100%の確率でなくしてきたのですが、今回も例外なくなくしました。しかし、今回にかぎっては完全にわたしの責任ではなく、単にぬすまれたので、ひじょうにいきどおっています。かなり気に入っていた傘で、しかもわたしにしてはずいぶんとがんばって1年以上なくさずに使いつづけたというのに、心ない何者かの手によってなくされたのがたいへんに腹立たしい。
それできょうは傘をさがしたのだけど、傘って気に入るのがぜんぜん見つかんないのね。手袋なみに見つからない。手袋も、気に入るものは100コに1つもなくていつも冬は難儀するのですが、傘もそこまではおよばないにしろ、どうも気に入らない。柄とか要らないんだよなー。形がだいじなのに、みんなわりとずんぐりむっくりしている。どうせなくすんだろうからと思っても、それなりに気に入ったものを使いたいのです。かといって、どうせなくすんだろうから、3000円もするものを買う気にはなれません。傘に許せるのは1500円まで。
だから今日は雨が降っているのに傘を買わなかった。
おもしろくないことを書いてしまいました。ああ、いいんだ、ここはおもしろいことを書かなくてもいいんだ。
自由業の者にとってyoutubeは実におそろしい地獄であり、ついひとつPVなんぞを見てしまうと3時間くらいはまっちゃったりするものですが、今日も例外なくそんなんになりまして、裸のラリーズとか象さんのポットとかの動画を見てうれしがっちゃったりしたのね(象さんのポットは絶対に叶わないだろうとおもっていたので、youtubeにあると分かって狂喜乱舞の気分でした。しかも期待を裏切らなかった。あ、象さんのポットというのは、とんねるず世代のお笑いコンビで、言うなれば15年早かったおぎやはぎってところかとおもいます。おぎやはぎよりテンション低い)。
あーそれで象さんのポットは関係ないんだけども、裸のラリーズとかを見ていて思ったことは、父の青春時代ってどういうものだったかということに思いを馳せました(←小学生がよくやってしまう主述の食いちがう文)。わたしは性別変わってからというもの、単に自覚によるものなのかもしれないし父自身が変わったのかもしれないが、ずっと少し苦手に感じていた父と壁を感じずに接することができるようになった。子どものころからずっと母の方が接しやすく、父にはどう接したらいいか考えてすこし緊張するような感じだったのですが、むしろ逆転したかもしれない。いまは父の方が話しやすいくらいです。
となると昔の話なぞも聞いてみたいとさいきん切に思うのです。父も母も結婚するまでほぼ一貫して片田舎で育っていて、当然ながら裸のラリーズなど知るよしもなく、はっぴいえんども知らないそうです(まあ団塊なので世代は少しずれてるのかもしれないが)。おそらくテレビでの露出があるような、よしだたくろうとかかぐや姫とかあのへんがメインだったのだと思います。それでも母はなぜかアコギを買っているし、父はガロ系のマンガなど経由してこなかっただろうになぜか「フーテン」だけは持っていた。サイモン&ガーファンクルのレコードも持ってた。昭和20年代生まれの、地方育ちの大学生の青春時代ってはたしてどんなものだったのか、想像がつかない。母はつきあい学生運動に参加したことがあるっていってました。「つきあいで」です。ただのブームだよ。そういうもんだったんだなー! と、妙に感動。
「フーテン」は、父の書棚にあるのを発見して借りてきちゃったのですが、まだ読んでないんですよね。

だからこんなに長く書いてるヒマがあったら仕事しろっつうのよ。


しゃしん:すごくかわいい廃校。上荒川小学校だったかな。(それにしても長崎旅行の写真が多すぎていくら貼っても終わらない)