ギンレイの日のにっき 2022/11/27

ギンレイホールが閉まってしまう日で、どうしても観たかった。最後の映画は「マリー・ミー」というジェニファー・ロペスの映画で、もう一つは「君を思い、バスに乗る」というロードムービーなのだが、マリーとバスのサンドイッチで上映されて、マリー、バス、マリー、バス、マリーの順なので、私は千秋楽の相撲を(テレビで)見る関係上、マリー・ミーしか見られない。最終回は激混みするかもと思って、意地で初回に来た。10時台に観るのは初めてじゃないだろうか。並ぶだろうと9時台に行って、案の定並んで、地下鉄の階段を半階分降りたところまで来る。しかし余裕で入れ、前から4列目くらいで観た。空席もあった。本編の前に、ギンレイホールが閉まるという内容の感謝の言葉と、ギンレイホールのいくつかの姿を映した短い映像が流れた。今っぽく言えばエモい感じのやつ。雨が降っている映像が妙に心に沁みた。映画は、ジェニファーロペスそのものみたいな役のスターが、コンサートでド派手に自分の結婚をショーアップしているその最中に相手の浮気が発覚し、ヤケクソのように客席の知らない男を指名して結婚するという、男女逆転シンデレラストーリーのような感じ、ベタと言えばベタだけど今っぽいとも言える。インスタライブの画面がかなり多用され、嫌なやつはほとんど登場しない、金を掛けたアメリカっぽいバカ派手エンタメ映画。最近DMで知り合った映写のSさんによれば、あまり深く考えずに見られるものでお別れしようという意図があったみたい。早起きしちゃったし観てて寝るかもと思ったけど、寝なかった。楽しかった。ここが終わる。なんべん写真を撮っても自分のものにはできない。全部味わっておきたくてトイレにまで行った。私は神楽坂といい和子荘といい、こんなに場所に居着いてしまう、猫のようである。外に出ると快晴で、もう、すぐに泣いてしまった。ここに対して思い出がそんなにあるのかと言われると、ほとんど一人で来ていたうえ、なんならここで見すぎているので何を見たのか記憶が曖昧という、じゃあ何を惜しんでいるのか分からないけど、でも私に映画館好きという趣味を植えつけたのは間違いなくここだと思うのだ。映画が好きなんじゃなくて、映画館好き。家ではあんまり映画を見る気になれない、映画は映画館で見るもの、しかも極力シネコンじゃなくて単館っぽいところで。その習慣はギンレイによって作られた。私はギンレイ以外にもずいぶん映画館に行った。映画館に入るために映画を観た。もうなくなってしまった三茶中劇、よかったな。横浜ジャック&ベティでサウダーヂ観たのも良かった。上野の一角座では「たぐちさんの一日」を観たはず。ほかにも下高井戸シネマ、川越スカラ座、最近だと宇都宮ヒカリ座や瓜連のあまや座、青森のシネマディクト、大館御成座、映画館って本当にいいものですね、本当にいいものだよ。ニューヨークでも英語できないのに名も知らぬ映画館に入ったな。英語が分からないので、映画の内容はよく分からなかった。時は戻って和子荘に住んでたときに、なにせ私は映画を全然観ない、知らないものだからもう勉強でもするようなつもりで、ここで映画をたくさん観るぞと思い、年間パスも買っちゃって、それからはあっ今日ヒマだからギンレイ行こうかなと思って、自転車でザーッと坂を下りて軽子坂のスタバの脇に停めて映画を観て、夜道を帰れる、なんていい街なんだろう、って思ったものだ。いちばん見ていたのはたぶん04〜05年くらいじゃなかろうか。すでに学生時代ではない、遅れてきた青春。青春か? 一人だけの青春。そもそも私は映画館が苦手だった。密閉された窓のない空間に人がたくさんいる、しかもずっと座ってなきゃいけない、そういうところに行くと頭が痛くなってしまうので、子供の頃から劇場とか映画館がどうもダメで、自らそういうところに行く習慣がなかった。大人になるにつれてそれは徐々に緩和されてはいったが、映画館が完全に大丈夫になったのはギンレイのおかげであるのは間違いない。いつしか頭が痛くなることなんか考えなくなっていた。ここでいちばん最初に見た映画すら覚えていないけど、館内の音楽だけは強烈に覚えている。私が通いはじめた頃は、待ち時間にバグダッドカフェコーリングユーが流れていたのだ。とてもいい曲で、それを聞きに行っていたようなものだ。私はこの曲が誰の何という曲かも知らなかった。その後、なんかこう、若者らしく、オシャレな定番映画みたいなものは見ておこう、みたいな気になって、バグダッドカフェをどこかで知ってレンタルで見たときにこの曲が流れ、ああこれだったんだ!って後から知った。その後私はなんやかやと忙しくなり、神楽坂でもギンレイからちょっと遠いところに越したりしたこともあり、なんとなく足が遠のいていってしまった。ギンレイは何も変わっていないんだが、私が映画館に行くという豊かな時間を少しずつ失っていった。自覚的にまたギンレイに戻ろうと思ったのはコロナ禍の時であった。コロナ禍、どこの映画館も大変で、ギンレイもクラウドファンディングをやりはじめた。私は何だろうな、なんでか分からないがたまらない気持ちになり、ここ数年ろくに足を運んでいなかったという気持ちにも後押しされ、私はたぶんギンレイに救われた部分がたくさんあるんだ、と思って、クラファンの最高基準額(最大の返礼サービスがあるもの)の2倍である40万円をほとんど迷わずぶち込んでしまった。大きな額の買い物なんてどうせ大してしないんだから、人のために使うのが良かろう。私がちゃんと派手に金持ちだったら買い取ってしまいたいくらいなんだから、40万なんて大した金ではないのだ。しかも私は40万つっこんだ後、そのリターンである団体用パスを手に入れたというのに、やはり何だか忙しくて(また、そのとき家が神楽坂ではなかったので)そのパスを利用することがあまりなかった。何がもったいなかったって、お金じゃなくて、クラファンのお礼としてその頃はエンドロールに寄付した人の名前が出てたらしいんだけど、それ、一度も見られなかった、それだけ悔しい。映画のエンドロールに出る自分の名前、ちょっと見てみたかった。まだ時系列的には昼の時点なのに長々と書いてしまったが、ともかく私はじわじわと涙をマスクに染みこませながら歩いて仕事場に行き、気持ちを切り替えて千秋楽の相撲を見た。しかし閉館の日と千秋楽が重なるなんて、メンタルがめちゃくちゃである。今度こそ優勝するはずだった高安は本割りでとてもいい相撲を取った阿炎に敗れ、巴戦となり、決定戦では突進力が強すぎたゆえに阿炎の胸に首を打ち付けて捻り、ちょっと見てられないようなことになった。現実はうまいシナリオではない。もういい加減にしてほしい、もう少し現実が映画みたいに行ったっていいだろうに、あまりに優勝に見放される高安に心がかき乱された。私は阿炎のことも、堀切という本名で取っていた頃から大注目していて、優勝してうれしいはずなのだが、どうしても首を痛めて土俵でうずくまる高安の姿が頭に刻まれて(もちろん阿炎は何も悪くないが)むちゃくちゃな気持ちになってしまった。しかも私はこの後、未練がましく、やっぱりギンレイの本当の最終上映回に行こうと思った。最終上映回なんてぎゅうぎゅうになるんじゃないかと思ったが、朝の様子を見たらそうでもなさそうなので、19時20分からの最終回、またもマリー・ミー、さっき観たばかりのをもう一度観に行く。さっさと仕事場を出てギンレイまで歩き、すると人は並んでいるが、朝ほどではない。これは入れるな、と思う。案の定、混んではいるけど満席ではなく、私はこうなったら、と思って最前列のど真ん中の席に座った。観づらい、けど、スクリーンをいちばん近くで見たい。ギンレイの客席の最前部の左側にはなぜかピアノがある。これが弾かれたのを私は見たことがなかったが、上映前、そこにいつの間にか女の人が来て、曲を弾き始めた。何の説明もなく、ひとしきり弾いて、曲が終わり、みんな拍手をした。不思議な感じだった。後から知ったのだが、柳下美恵さんという、サイレント映画のピアノ演奏をしている方らしい。最終日ということで突発的に来て下さったらしい。しばらくして、いつもどおりの録音のアナウンスがなり、さっきと同じ映画が始まった。最前列は観づらいけど、音はとても迫力がある。2時間ほどの映画が、だんだん終わりに近づいていく。もうそろそろ終わっちゃう、終わっちゃうなあと思って観た。ジェニファーロペスのド派手な顔とド派手な衣装がバンバン映るこの映画をすごく惜しみながら観ているのがすごくいいと思った。終わっちゃう、終わっちゃうなあ、と思っていて、エンドロールも終わって、本当に、終わってしまった。そして、いつもどおりのアナウンスが流れ、アナウンスは録音されたままに「またのお越しをお待ちしております」と言った。またのお越しはあるんだろうか。またのお越し、したい。どうにか、どうにか。どうにかうまいようにシナリオが流れてほしい。なかなか席を立たない人が多い。お客がみんな名残惜しんで、写真を撮ったり、何だか席をウロウロしていたりするけれど、ゆっくりゆっくりとあきらめてみんな劇場を出る。映写のSさんを見つけたので少し話しかけたけど、何を言えばいいのかよくわからないしちょっと私が泣いちゃいそうなので切り上げ気味になった。外に出たけど、外でもお客がもちろん溜まっている。惜しんでいる。道の向かいにわんさといる。かなり経って、全部の客が出て、スタッフさんは並んで挨拶をした。拍手が起こった。私はずっと泣いていた。写真ももう撮り尽くして撮るところがない。この建物もすぐになくなる。建物が古いなんてことはずっと前から分かってたことで、ギンレイはともかく、この建物は持たないのでは? というのは10年以上前から思っていて、そう考えればギンレイはずいぶんがんばってくれたのかもしれない。写真を撮るところももうないので、私は真下に涙を流し続けながらずーっとギンレイホールの建物をただ見ていた。見ても見ても満足することがなかったけど、仕方がないので切り上げて地下鉄に乗って帰る。地下鉄の中でもずっと泣いていた。私がここで観た映画、過去にミクシーやこのブログなど、日記に書いたものから拾えるだけ書いてみる。内容は覚えていないものがものすごく多い。はっは。

2004.9 ぼくは怖くない / 2005.2 父、帰る / 2005.5 ボン・ヴォヤージュ / 2005.6 モーターサイクルダイアリーズ / 2005.6 エターナルサンシャイン / 2006.3 ボビーとディンガン / 2007.9? バベル / 2007.11 イタリア的、恋愛マニュアル / 〜ここからあまり日記を書いていないし、たぶんギンレイにもあまり行っていない〜 / 2015.4 フランシス・ハ / 2019.8 バイス / 2021.4 パピチャ / 2021.5 37セカンズ / 2022.3 プロミシング・ヤング・ウーマン / 2022.4 由宇子の天秤 / 2022.10 わたしは最悪。 / 2022.11 セイント・フランシス / 2022.11 マリーミー

こんなもんじゃないと思うんだけど記録を取ってないからほかは分からない。期間の空いてる部分に何観たのかなあ。まあ数年行かなかった時期があるのは間違いないから、そんな大量に見ているわけでもないんだろう。それに私は観てもすぐ忘れちゃったりするからねえ。ギンレイは忘れないけど。忘れないよ。