朝ですね

コンタクトレンズをしているからなのだよ、と思う。

何があろうともコンタクトだけは外して寝なけりゃいかん。化粧を落とさなくとも、歯を磨かんでもいいが、なんとしてもコンタクトだけは外さないと、寝たときに大変なことになる。

かといってコンタクトをやめてメガネにしてしまうとこれはもう一気に私の流れが止まってしまうので、ナルシシズムなのか、自分の中のその時々の波に乗る際にはなんとしてもコンタクトでなけりゃいけないという、その条件がどうしても興を削ぐ。

ふっと行った先で泊まったりしたいけど、そのときにコンタクトを外さなきゃいけなかったり、そのためにコンタクトのケースだのメガネだのを持っていかなきゃいけないなんて思った時点でそりゃもう、だめなんだよ。コンタクトの時点で私はがんじがらめ。詩的なものから遥か遠くてつまらない。

前野健太さんのエッセイ集「100年後」がとてもいいので何か書きたくなった。

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和子荘の残り香

神楽坂上で突然山本さんに会った。 5年ぶりくらいだと思う。 和子荘を借りるときにとてもお世話になった、 西島不動産にいたおばちゃん。私はお店に行くたびに長話をしていた。

私が和子荘を出るころ、西島不動産の社長は亡くなってしまい。 山本さんは縁があって神楽坂近くの少し大きな不動産店に移った。 うわさ好きでお喋り好きで、時々毒づいて、下町のおばちゃんというかんじの山本さんが、しっかりスーツを着た人がやっているような不動産店に馴染めるのだろうかね、と少々心配したりもしていた。

で、交差点で見かけて、勝手にわーっ!となり、つい声を掛けてしまいました。

そしたら山本さんは「あーどうも~」と言って通りすぎようとするので、私を覚えてなくて適当にやり過ごそうとしてるのかな? と思って「覚えてます?昔お世話になった…」的な感じで言おうとしたら「えー覚えてますよ、能町さん。ご活躍で~」
そっちの名前で言われた。契約は本名だし、そっちの名前を説明したことはたぶんなかったんだけどな。
「まだあそこに勤めてるんですか?」
「もうね、やめさせられました。やっぱりね、力のないものはダメ!」
えっ……と思って、「あ、そうですか…」といってその後が継げずにいると「じゃあまた~」といってさっさと、なんだか少し面倒くさそうに行ってしまった。

私はこう、なんか、地元に根づいた感じで暮らしてきたというようなことを自分自身美化していたが、向こうからするとそんなの当たり前で何でもないし、穿った見方をすると、私がテレビだのなんだの浮かれて出ているから、もう神楽坂の近所の子というイメージをとっくに逸脱してしまっていて、アレはもうよそもんだから…みたいな意識を持たれているのかもしれない。

と思って、悲しくなりましたが、私が美化しすぎなのが悪い。

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北条かやの批判など

北条かやについて書くと、大半の人は賛同してくれるのだけれど、わずかな人は「まだやってるのか」「しつこい」「どっちもどっち」という言葉を投げかけてくる。それは非常に辛く、心を削り取られる。「もう相手にしない方がいい」ともよく言われる。

でも、私が相手にしないといけないのだ。なぜなら、彼女は「反論できない人を悪く言う」から。反論できる私が反論しないといけない。私が例えば死んだりして反論できなくなれば、彼女は喜んで私の批判や愚弄を始めるだろう。そういう人なのだ。

こんな記事をいちばん上にあげておきたくないので、できるだけ早いうちに次の記事を書こう、と自分に向けてせっついておく。

北条かやが新刊を出すという。2016年にインターネット上で私と雨宮まみさんによって厳しく批判され、言葉で対抗せずに自分の命を粗末に扱ったことで場を凌いだ(らしい)彼女が、「インターネットで死ぬということ」という、また「死」という言葉を安易に扱った本を出すらしい。

おそらく彼女は「安易ではない。本当に自殺しようと思っていた。本気だった」などと見当違いな反論をしそうだが、本当に死ぬ気かどうかなんてことは本質的には関係がない。まず、命を引き替えに人の言葉を封じようとしたことが問題なのだ。突然「死んでお詫びします」と言い出すのは、「それ以上言うとコイツを殺すぞ」という脅迫と同じである。

そもそも、タイトルの「ネットで死」ぬの意味するところは何か。自分がネット上で批判されて自殺未遂をしたことなのか。彼女は今ずいぶんと旺盛にブログを更新し、ツイッターを更新し、活力がみなぎっているように見えるし、そもそも自殺未遂をした直後もツイッターやブログからそう長く姿を消したわけでもなかったが、いつどこでどう「ネットで死」んだのか。現実でも、ネット上でも、ものすごく力強く生きている。

本の内容は2016年に起こった炎上騒動や自殺未遂のことだとはっきり書いてあるので、確実に雨宮まみさんの存在が関わってくる話だけど、本の中に雨宮まみさんや私の名前はおそらく、高い確率で、出てこないだろう(出てきたならそれはそれで改めて批判する)。もともと彼女は雨宮まみさんや私を「尊敬している」とすら言っていたはずだが、騒動以降はブログに名前すら一切出していないからだ。おそらくこの調子で、本の中でも直接的には触れないだろう。それでいて、本のタイトルは本当に亡くなった方を愚弄するかのように「インターネットで死ぬということ」なのである。

インターネットでも現実でも死んでいない人が、「のちに亡くなった人に、炎上させられて辛かったという話」を、「インターネットで死ぬということ」というタイトルで本にしているのである。

このタイトルは、単に「死ぬ」というショッキングな単語を使いたかっただけとしか思えない。彼女の自殺未遂といっしょである。ショッキングなことを言う以外にはもう進む道がないのだ。

そして、おそらく編集者は、「死ぬ」という単語をタイトルに使うことによって、実際に亡くなった人の存在を意図的に少しほのめかそうとしている。北条かやどころではなく人を愚弄しているが、それについてはややこしくなるのでここでは触れない。少なくとも私はイーストプレス及び編集者・畑祐介とは今後一切関わらないように気をつけたいと思うが。

(それと、ヒット作である「病院で死ぬということ」のパロディにしたかったというのはあるだろう。彼女の作品名はほぼすべてがパロディ、悪く言えばパクリで、オリジナリティがない)

もしかしたら、このタイトルが亡くなった人にとって愚弄となる(控えめに言っても、デリカシーがない)ということを、彼女は本気で分からないのかもしれない。だとすると、もう、これは一種の病気だとしか思えない。

だから私は彼女を、なるべく病気の人だと思うことにした。

1つ、彼女が「死」や「命」をきわめて軽いものだと思っていて、その価値観が世間とずれているということにすら気づいていない、ということの証明をみつけてしまったので、リンクを貼ります。

ameblo.jp

北条かや「クリスマスは電通記念日でいいよもう」

クリスマスが電通記念日、とはどういう意味なのか。「電通 クリスマス」で、多くの人はもう分かると思いますが、分からない方はこの2つの単語で検索してみてください。いちばん上に来るニュース(2017年3月現在)を指していると思われます。私もこのブログ記事には目を疑いましたが、この記事が2016年11月であり、「電通/クリスマス」が指す事件が世間で話題になっていたのがちょうどその頃なので、それ以外にはちょっと考えづらいでしょう。

あんな悲劇的な事件をネタにして、クリスマスを「電通記念日」などとブログに平然と書いてしまう。

この人にまともな議論が通じるわけがなかったのだ。

でも、まだ反論できる私は、今後も彼女が病気であろうと何であろうと、許せないことをしたときにはきちんと批判しつづけます。しつこいといわれようと、やめません。文筆で食っている人間ですから、文筆でやりつづけます。別に会ってもいいと思っていますが、彼女は私に限っては「会ったら分かってもらえる」などという甘えた言葉は言えないでしょう。彼女のことを批判していた人で「会ってみたら考えが変わった」なんて人は今まで実際にいたのかどうか。

まだほかにもたくさん書きたいことがあったけど、あまりに長くなりそうなのでとりあえずこれだけです。

【追記】この本を出す前にすでに北条氏は「インターネットで死ぬということ」の記事をwithnewsで書いており、それも私はもちろん読んでいるが、そのときはわざわざ批判しなかった。内容がいつもどおり、自分がなぜ批判されたかをすべて棚に上げ、批判に対する反論もなく「私はひどい目にあった」と繰り返すだけで、いちいち言及するにはあまりに幼稚な文章だったからである。誰か本当に死んだわけでもなかったし。

しかしその後、雨宮さんが実際に亡くなってしまった(このことと北条氏は一切関係がないが)というのに、全く同じタイトルで本を出すというので耳を疑った。おそらく同内容だろうし、それはあまりにもデリカシーがなく愚弄だ、と私は言っているのであり、雨宮さんが亡くなる前にもう「インターネットで〜」の記事はあったのだ、とする擁護は意味がない。むしろこのタイミングで書籍化するモラルのなさを指摘している。

追悼しない

迷ったけど、中途半端に140字を連発して真意が伝わらないのが嫌なので、別の箇所に書いたものをここに転載する。

思い出などは特に書かない。自分のためだけにわがままな文を書く。

腹が立つ気持ちと、悲しい気持ちと、恐怖がかわるがわる訪れる。忙しい。気持ちだけで大変なので仕事などできない、と思いながらちゃんとギリギリのことはやっているので、自分の鈍感さを頼もしく感じながらも憂う。毎日15回くらい泣いている。昨日も起きていきなり泣いてびっくりした。今も泣いている。

昨日は人との仕事が終わったあともう何をしたらいいかわからず、国会図書館からなんとなく歩いた。歩いたら文藝春秋に着き、ホテルニューオータニの華やかな光の前を通り、土手に上って真っ暗な道を歩き、四ツ谷にたどりつき、四ツ谷のロンに初めて入った。喫煙可の表示を見て、思いつきで、吸わないタバコを買って来て吸った。強いものをやっても定着しないだろうと思って、弱めのメンソール入りのを買って、立て続けに3本吸った。鼻がツンとした。かわいらしくミルクセーキをたのんで、本も何も持っていなかったので、ネットで「本でいただく心の栄養」を読んで気になった本を心に留めた。

タバコを吸うという悪ぶり方がいかにも小者らしくてよいと我ながら思い、タトゥーについても調べていた。私が蛇が好きだということについて、似合うといって彼女は喜んでくれて、私はものの拍子に「タトゥーを入れるなら蛇がいい」と言ったことがあった。それもまた非常にチンケな悪ぶり方でなかなか上出来だと思うが、さすがに実行には移さないかもしれない。あとはピアスを増やすくらいだろうか。非常にチンケだ。

ロンが閉まるので出た。また新宿に向かって歩いた。本人の思い出の場所とか本人の著作とかはどうでもよい。そんな近い場所に行ったら終わってしまうように思ったので遠いところをさまよいたかったがどこだか思いつかなかった。途中でどうしても誰か欲しくなったので、唐突に昔好きだった人に電話してしまう。突然だけど飲みませんかと言ったが、仕事でどうしようもなさそうで、優しく断られた。

紀伊国屋書店に行って、さっき調べた本を2冊買った。伊藤野枝島尾ミホ、頭おかしいほど強く生きた人の本である。そしてまた裏を彷徨ったらバンという奥深いところにある喫茶店を見つけたので、そこでまたタバコを吸いながら伊藤野枝の本を読んだ。

バンも閉まったので9時、まだ混んでない時間だろうと思って星男に行ったらびっしり混んでいた。しかしとりあえずそこで飲む。関係のない人と飲むと当然関係のない話になる。少し気がまぎれる。まぎれるが、もちろん何も知らずに初対面で私に話しかけてきた人がいて、その人との対話が長引き少しずつ嫌になって来た。私も話したい。吐き出したい。胃液を吐くように話したい。でも私が話す相手は何も知らないこの人ではない。日本酒を二合。

私は眠いふりをしてほとんど黙った。移動する元気もなくもう一時間も眠いふりを続けた。その人が帰るといい、私に「もう(眠気が)限界ですか」と言って笑ったので耐えられなくなり、当たり散らしたが、理由がないので、「こっちは機嫌が悪いんだよ!」と怒鳴り、まったく関係のないさっきの会話の内容について大きな声で怒った。「白鵬の立ち合いがどうとか相撲のことで私を論破しようとすんじゃねえよ!」本当にどうでもいいことを怒ってものすごく間抜けになった。そしてすぐ泣いて、「すいませんそういうことじゃないです。ごめんなさい」と謝って、もう意味が分からない。大して酔ってもいないのに数秒で感情が上下するヤベぇ奴になっていた。その人はオロオロして謝って来た。悪いことをした。

それで少し緊張の糸が切れてしまい、よく言えばリラックスにもなり、ずっと故人の悪口を言いつづけた。生きていたときに、生き方や作品に嫉妬こそあれ、悪口を言いたいと思ったことなどなかったが、いまはもうタンクにいっぱい悪口しかない。事故死だと。ふざけるな。ちょっと背伸びして生きるのが楽しい、開き直れた今のほうがいい、という態度を示していた人が死んだら今まで言ってたことがすべてただの強がり、ただの虚飾、ただの無理、ただの嘘だということじゃないか。

つい最近、死ぬ死ぬと言って死ななかった人を二人で叱ったことがあった。もちろん死ななかったことを叱ったのではなく、こちらが真剣に抗議しているのに、それには真摯に対応せず、甘えに徹して「そんなに怒られるなら死にます」と自分の命を簡単に犠牲にしようとする態度を叱ったのである。

ともかく彼女は死ななかった。思えばそれは本当にいいことだ。ロクに話も聞かずぶざまに情けなく死ぬ死ぬと言って人に甘え、人に心配させて、死なない。すばらしい。真面目に生きて真摯に対応した末につらい気持ちを押さえ込みすぎ、たくさんの友人の思いに反して死んでしまう。ダサい。前者のほうが完全に、絶対に、マシであった。

向こうが私をどう思っていたかは知らん。数ある友人の一人ではあったと思う。連絡が来るのが遅かったことからしても、親友ではないと思う。私からも「親友」とは思っていなかった。彼女は凛としていたので私は会うときに気が引けた。とても楽しいんだけど、私自身が少し背伸びして会っていたようなところがある。親友と呼ぶのはおこがましい、憧れのように思っていた。それなのに、年下にもだいたい敬語で接する私が、なぜか年上の彼女にはほぼタメ口だった。不思議なバランスだった。こちらの背伸びに全く気づいていないようなところがあり、私もそこに甘えさせてもらっていた。

そして共闘しているようにも思っていた。彼女が陣頭指揮だとして、私は斜め後ろにいるうるさいだけの参謀でもチンピラでもいいが、そういう立ち位置にいるつもりでいた。陣頭指揮が何の方策も示さなくなったら子分はどうしたらいい。子分は私以外にも潜在的にものすごい数がいるんだよ。

悪口は火葬についての話に移り、私はイモラルな毒づきを続けた。葬式のときに葬儀場の人が故人についてポエム風に話すのが嫌だと言っていたのに、本人の火葬でも結局軽めにポエムを読まれていて、だせぇ、と思った。いきなり死ぬからこんなことになるんだ。死んだら思い通りになんかいかないんだ。何もないところで考えていると悔しさと腹立ちで涙が出てくるけど、棺に入った本人を見たら憎たらしさで涙も出ず、ずっと睨むことしかしなかった。手も合わせてやる気になれない。棺にお花をどうぞ、と差し出されたのも断った。やるものなんかない。棺に入れてあげたいものもない。顔のそばに、著書の「東京を生きる」が置いてあり、花で隠れて「生きる」とだけ見えて、いや死んでんじゃねえかよ、バカバカしい、嘘つき、と思った。みんなが綺麗な顔だとか言ってたが、口の中から綿が見えていて間抜けだった。ちっとも綺麗じゃなかった。

こういうようなことをずっと話していた。

周りで悲しんでる人にも腹が立って来た。しくしく泣いたり、顔に手を合わせたり、別れを惜しんだり、お前らはこんな状況になっても「大人」なのか、と煮えくり返っていた。病気で亡くなったならともかく、こんな、ゴムを伸ばしまくってたら突然バチンと切れたような死に方について何をお利口に悲しんでるんだ、ゴムを限界まで伸ばすという危ない行為を続けながら大丈夫だと言い張っていた本人に怒りはないのか。そういうところをごまかして故人を喪失したことだけを純粋に悲しむなんて器用すぎる。正解の顔をした人が雁首そろえてお別れに納得した涙を流していて、なんなんだこの世界はと思った。茶番だ。私は棺からいちばん遠くにいた。そして誰とも目を合わせたくなかったのでずっと俯いていて、あそこに誰が来たのかほとんど把握していない。焼香の時も手も合わせず、ひとつかみを投げつけて終わらせた。遺族にも挨拶していない。遺族ってなんだ。福岡の墓には入りたくないと言ってたけど、こんな早く死んでそれが実現できるのかよ。死んだら何もない。全部人まかせだ。

そんなことを話した。

歩いていても、要素に時々ぶつかる。好きだと言っていた宇多田ヒカルが流れて来たり、本屋に行ったときにオビに入ってる名前が目に入ったり。そのたびに「いない」ということを考える。いない世界になってしまって、いない世界からいる世界にはどうしても戻らない、ということを忘れるために、私は怒る。そうしたら怒る対象が生まれる。生まれる。怒りつづけないと生まれつづけない。悲しいだけになったらいなくなる。怒りつづけ、ときどきうっかり空白になったときに悲しんでしまい、イチからゼロになることへの恐怖にも襲われる。また目盛りを怒りに戻すようにする。

星男に人も少なくなり、深夜4時を回るまでいた。もう酒は途中から全く飲んでなくて、お茶ばかり飲んでいて、だから私は生きられる。体が無茶をしないようにできていて、どんどんつまらなくなってたくさん生きる。そういう決まりだと思う。タバコも定着しないのかもね、と思う。でも、タバコを吸うようになって、習慣づいて、禁煙しようとなって、それが成功するころには風化するんじゃないか、と思って始めたのだ。宗くんにも、大震災のようなものですら風化するんだよ?と不謹慎な励まされ方をした。

でも、もう店を出るころにだいぶ落ち着いて考えたら、今回のは人生でいちばん悲しいことだった。大震災も私個人には直接何かが降りかかったわけじゃなく、親もまだ死んでないし、たとえ親が死んだとしてもそれは年齢の順だからもう少し覚悟がある。この上を行く悲しいことが思いつかないと分かってしまった。

まだなるべく怒るようにしているけど、ここからのハンドル操作はよく分からない。

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笑っていいとも!グランドフィナーレにて いいとも歴20年・香取慎吾からタモリへの言葉

32年間おつかれさまでした。
タモリ:ありがとうございます)
えー、えーー僕は、えー、94年から、えー、17歳のときから、20年間。お世話になりました。この4月でちょうど20年です。
まず……すごく涙が出そうな、思いが、えー昼間も、今日は月曜日だったんで、あったんですけど、昼で終われればあそこで僕泣いてたんですけど、夜もあったからすごい変な1日でした(笑)。ほんとは昼間で終わりたかったですけど。
あと、昼間始まる前に、あのー、あんまり20年僕行ったことのないタイミングでトイレに行ったらちょうどタモさんと一緒になっちゃって、タモさんは気づいたかどうか分からないですけど、タモさん小のほうにいたんですけど、そのまんま僕あいさつせずに大きい方に隠れましたすいませんでした。
ちょっとー、あの……大きいです20年って。しかも10代からだったんで。
タモさん…は、特に何も教えてくれませんでした。でもずっとタモさんの背中は見てました。20年一度も怒られたことないです。ちっちゃいことでも怒られたことないです。
僕ひどかったのが、90年代、97年か8年ぐらいの頃に、いいともカップが始まったぐらいの時間、12時50分ぐらいに遅刻して入ったことがあります。ありえません、すいませんでした。それを終わって謝りに行ったときも、あーあー分かった分かった、って、怒りませんでした。
っと……信じられません。まだ。
答えは要りませんが……ちょっと我慢できずに言います、答えは要らないですけど……そもそもなんで終わるんですか。
えー……
タモリ苦笑)
あのー、えー、いっぱい言いたいことあるんですけど、ほんとにいろいろ考えてもうここずーっとここのところ考えてたんですけど、結局は何も考えずにここまできました。あの、つよぽんがすごく仲良くてタモさんち行ったりするのすっげーずっとうらやましかったです!あと僕あのなんか携帯の番号教えたりとかあんまそういうのが苦手な人でなかなかタモさんと話す時間もなかったりして、で中居くんとかそういうのもすごくするんですけど、で中居くんとか食事よく行ったりしてんのも知っててあーそうなんだーとか言いながらも僕も行きたかったです!まあお前がなんか、番号渡したら、お前が行きゃあいいだろって話なんですけど、そういうのほんとに苦手で、ほんと、でもっ……(激しく頭をかく)
えー……あとあのー、生放送で、毎週20年間出させていただいて、テレビに出ている僕ですけど、SMAPでもつらかったり、苦しいときがあって(ここからほとんど泣き声)、そ…そんなときに、笑ってなきゃいけないのがつらいときもあって、「笑っていいとも!」って言うのがつらい苦しいときもあったりするんだけど、始まったら笑顔になってる自分がいて、苦しかったりするときに昼間にいいとも見ると、あっタモさんやってたりみんなまたやってる……(言葉に詰まる)
ごめんなさい、ほんっと……、ほんっとに、ありがとうございました。
タモリさんこれからも、つらかったり苦しかったりしても、笑っててもいいかな?
タモリ:いいとも!)
ありがとうございました!


口調をなるべく再現しようと、句読点などけっこう気にしました。

聞き取ってみた

2013年10月22日「笑っていいとも!

鶴瓶登場)
(観客盛り上がる)
鶴瓶:ちょっと。ちょっと。(歓声を制して)いやいや、違うねん。俺聞いたんやけど、……いいとも終わるってホンマ?
タモ:来年の3月でー、いいとも終わります。
鶴:ほんまかいな?
タ:ほんと。
中居:ほんとー!?
鶴:(中居に)お前知ってた?
大竹:ええっ!?急に!?
中:ちょっとちょ、ちゃんと……
鶴:マジやで。
タ:3月いっぱいでいいとも終わるんですよ。でもねえ、あの俺30からこの世界入ったじゃん。それでスルスルスルッと横滑りして入ってて、30からだから6年後にこの番組やったんですよ。だからいいともで初めて芸能人としてなんとか格好がついたんで…
中:いいとも、30…?
タ:それはこの、32年。フジテレビがずーっと守ってくれたんだよ。ほんとにこれ感謝してもしきれません。
中:あのー、正式なことですかこれは。
タ:正式なことです。
(えー!)
ローラ:えーそうなの〜?
タ:ついてはあの出演者の皆さんにも大変お世話に。それから国民の皆さまにもね、ほんとどっち向いても俺は感謝です。ありがとうございます。
中:いやあの、3……月いっぱいで、いいとも終わると言うことで?
タ:そうですそうですそうです、そういうことです。
鶴:いやおれ噂で聞いたからちゃんと聞きに行きたいと思って今日はね。こんな人間やから、ちゃんとね。
大:噂じゃなかったんですね?
鶴:だから噂じゃないのよ、これ…
中;じゃあこの半年、あと10月……
タ:といってもあと半年ありますからね?
鶴:まぁ半年ある、どないすんの。
タ:半年で終わる番組結構ありますから。
中:そうですけど、半年、最後に向かってということですか。だからレギュラー陣の皆さんももちろんそうですし……
鶴:心機入れ替えてやなあ、(バナナマンさまぁ〜ずに)お前らと、ま、誰かと違うように変えるわ俺。
大:どういうことだそれ。
設楽:半年の間にメンバー変えられちゃうって。
中:(鶴瓶に)半年の間に、あの夏休みとか、自分のプライベートのことで休みはやめてください、特大号のものまねもやってくださいね。
鶴:いやいやでもほんまやってんなあ。
タ:ほんとですこれは。
中:いやーちょっとね、テレビの歴…
鶴:32年やでえ、どないやねんお前ら(客)、嫌やろ。嫌や言え!
(いやだー!)
タ:もうほんとに、ありがとうございましたほんと感謝です。それではまた明日も観てくれるかな?
(いいともー!)

※出演者の声が交錯してるので、ちょっと捨てたところや聞き取れないところもありました。
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感傷にっき

私にとって、なんでか美容室は特別なところで。
ほんとに、ライトオンだのジーンズメイトに入るのすらビクビクしていたというひどい中高時代を経ていて、いまだに服を買うことにはビビりがつきものなのだけど、こと美容室に関することについては特にためらいがないというか、絶大な自信を持って選んできたというか。たとえばよくあるエピソード「持ってこられる雑誌のテイストが合わない」だの「お仕事何されてるんですかぁ〜?」みたいな通りいっぺんの世間話が苦痛だの、そういった目に遭ったことが一度もない。
私が選んだ美容室は、良い。上京以来美容室には3軒しか行ってない。私が選んだお店の美容師さんは、私のもとに変な雑誌なんかまず持ってこない。世間話は、しないわけじゃない、むしろかなりフレンドリー、だけどとても具合の良いフレンドリーさで。生産的と言ってもいいほどの会話が楽しめる。基本的に人見知りであると自覚しているはずの私が、美容室ではわりとするすると話ができる。自分でそういうところを選び取ってきたという自信が妙にある。
東京に来て初めて行ったのは、当時住んでたつつじヶ丘駅そばの某店。
ここはまず、オシャレさのかけらもなかった当時の私としてはちょうどよい選択だった気がする。そこに行くのをやめてしまった理由は、大したことないので省略。今回書きたいのはその次の話で。
この件については、じつは、消してしまった例のブログで書いていた。
例のブログでは、意図的に文体をややかわいげに設定していたのでいま再録するのが恥ずかしいですが、過去ログを探し当てたのでちょっとだけ改変して載せてみて懐かしみます。

今かよっている美容室(註:3軒目。2013年現在もかよってる)のひとは、私の過去なんて知りません。ばらしてもいいんだけど特に言う必要もないし。
その前に通っていたお店はまず外観のシンプルさがすごく気に入ったのだけど、窓がほとんどないから店の中がぜんぜん見えない。小窓からちょっとのぞいたら金髪の人がチラッと見えたので、いちおう若い人がやってるんだな、少なくともおばちゃん向けの店じゃないな、と安心して例によってアポなしで突入。
そしたら、金髪のおばちゃんでした。
でも、ここは本当にいいところでした。
金髪のおばちゃん(おばちゃんなんて呼んだら怒られるかもな…)といつも前髪をかっこよく固めている小太りのおっちゃんという2人(たぶん夫婦。でも別姓)でやっている。
お客が私しかいなかったとき、私がおばちゃんにカットしてもらっているあいだたいくつなおっちゃんは「オレちょっとでかけてくるわ」とふらっと出ていき、しばらくしてCDを買って帰ってきたのです。
そして、タバコをふかしながらお店のコンポでそのCD(たぶん古いUSロック)を大きく流しはじめ、「おお。これいいな」とご満悦。
しかし1曲も終わらないうちに、おばちゃんは「うるさい」と言ってCDを消してしまいました。おっちゃんは「いいじゃねーかよ…」なんて言いながら、またふらふらでかけてしまった。
こんなやりとりをお客さんの前でふつうにしてる店でした。
すてきだったなあ。お客さんもちょっと変わった人が多かったし。
しかし、なぜここに行かなくなってしまったか、ね。
私、ここに通い始めたころは、まだオトコやってました。それでもわりと女っぽい髪を希望するものだから、おばちゃんが冗談で「能町クンってべつにオトコが好きってわけじゃないんでしょ?」と聞いてきたことがあるんです。
私は当時ほんとうに自覚がなかったから(註:いま思えば自覚がゼロだったわけじゃないと思う。恋愛に関してはおそらく無性的だと自覚してた)笑いながら「ちがいますよー」と答え、おばちゃんは「ああそう。よかったー」なんてやりとりをしてたんです、よ。
このやりとりが心に引っかかってて、オンナになってから行けなくなっちまった。まったく何の連絡もせず、いきなり行くのをやめて店を今のところに変えた。
あのステキな夫婦がそんな些細なこと気にしないってことは分かってるんだけど、やっぱり、性別変えてから会うというのは勇気がいるもんです。
いつかは行こうって思ってます。好きだし。
いちおうあやまっとく。おばちゃんなんて書いてごめんなさい、Yさん。

この記事を書いたのがもう7年も前。
この、おっちゃんのほうが亡くなっていたことを知りました。
おっちゃんはタバコもポカポカ吸うし、おなかがたっぷりと出てかなり張っていたし、 陽気だけどきっと生活は健康ではないよなあと10年前にも思っていたけれど、おそらくそこまでトシがいってるわけでもなく。
私はショックなのです。
ショックなのです。後悔しているんです。
いつかは行こうって思ってます、好きだし、なんて書いてるけど、行かなかったんだ、結局。違う美容室に行きつけになっちゃったしさ。
とっても大好きな場所だったんだけどさ。
私はおっちゃんから、むかーしの「アサヒカメラ」の雑誌をもらって。それが本当にステキでね。今も取ってあって。一度たまたま見せられて、私が興味を示したら、ああ、こういうの好きなの?じゃあ次来たとき用意しとくから、あげるよなんて言われて、何冊かもらっちゃったりして。それでちょっと火がついてオークションで昔のカメラ雑誌何冊も集めてみたりして。
去年亡くなったって。
私が例のブログでこの美容室について書いたとき、さすがにこれはお店特定できちゃうだろうなとは思ってたんだけど、まあ特定されてもいいやと思って書いてたんだけど、案の定、ブログ読者で分かった方がいたようで、そのお客さんが最近、能町って人のブログでここの話らしきことが出てたんですよと、おばちゃん(←って全く当時の私はずいぶん失礼なもんだな。おばちゃんって呼び方はないと思うよ…。Yさんとします)に世間話で何気なく言ったところ、どんな人なのかという話になり、その人が画像検索し、私の顔が出て、Yさんは、ああ、この子!って。覚えてたんだって。こんな活躍してるんだ、よかった、山ちゃん(おっちゃん)にも教えてあげたかったって喜んだんだって。ちょっとうるっとしてたんだって。
だから私は、ふらっと、ほら、平気なんだろうよ虚勢をいつも張ってるんだから、どこに出るのも平気だと思ってるんだろうよ、だったら去年あたりにでも行けばよかったんだ。
私は別にいやになって行かなくなったわけじゃなくて。本当に大好きだったんです。前のブログで書いたようなこともたしかに引っかかってたけど、当時は生活をぜんぶ変えちゃえって思って何でも一度捨てちゃえと思っていた節もあって。なにも言わず行かなくなっちゃったことはずっと引っかかっていて。
ストレス溜めてスーツを着てしょうもない仕事をしていた私が自由になって、こんなふうに楽しくお仕事してますよということを堂々と10年越しに見せに行けばよかった。
でも私はいまの美容室も好きだ。ステキな美容室に出会いすぎてやるせない。どっちも大好き。どっちにも通いたい。
久しぶりに長々と計画性もなく書こうと思ったらこの場所になった。

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