ふつうたびにっき

のっけから自慢ですが、サイドバーのリンクにもある、敷島さん(小野川親方)のブログのタイトルバーの写真(左側の超いい笑顔の)を撮ったのは私です。いえーい。敷島さん、使ってくれてありがとうございます! ちょううれしい! 敷島さんは相撲協会の良心です。いや、ほかにも良心はたくさんいるのですが。
そして、縁遠さん(金曜更新)の絵が、ちょっとずつうまくなってきたような気がしませんか。私は、します。こんなにへたくそでも描きつづければ上達するものなのです。努力ってとても苦手だけど、仕事として「努力」をするというのは一つの方法ですよね。


旅行の話でも書かせてください。自己満足のためにね。
山形でのライブを観終え、泊まったのは、なぜか山形にあるのに「仙台屋」。増築に増築を重ねて忍者屋敷のようです。階段がせますぎ。階段の途中に突如部屋があったり、となりの人が有料チャンネルを見ているのがまる聞こえだったり。たまりません。おふろで、わっさんと全裸で向かい合いヨガのポーズを教えてみるものの、私のほうがバランスを崩す。
次の日は軽く市内をぶらぶらです。山形はけっこう古い建物があっていい町です。
山寺は、案外のぼれた。心臓だいじょうぶだった。よかったね。お寺がたくさんあるので、御朱印(去年教えてもらった趣味です。土井ちゃんありがとう)がたまりまくってしまった。
のぼりきってから下りきって、順路にそって出て行く途中、本坊のうえきばちに「パインナップル」と書いてあって、横に小さく「実がなるかな……」と書いてある。
んもう、かわいくてしょうがない。和尚さんが書いたんじゃろうか。

そのよこにはとてもおきれいな白猫様。
さわらせてくれたので、おもうぞんぶんさわっていると、さっきおみやげを買った売店のおばちゃん(もしかして住職の奥さん?)がもういっぴき、どでかい白猫を抱えてかけよってきて、「それこの子のおかーさん。この子はとうきびだからコーンちゃん!」と。
なんで真っ白なのにとうきびなのか分かんないけど、かわいいからいいや。コーンちゃん。
仙山線を経て仙台には下りずに白石に向かいます。鎌先温泉まで乗せてもらったタクシーの高橋さんはいろいろ観光案内もしゃべってくれる。若い人だけでこっちに来るなんて珍しいと言われたが、若い人は親子連れというかたちでけっこういました。
鎌先温泉の旅館はかなり古く、部屋もレトロなんて陳腐な言葉で表すには申しわけないくらい味があって、家具調度もひとつひとつが(いい意味で)古く、ついわたしとわっさんは奥の椅子スペースで愛人ごっこと政治家ごっこをしました。
でも、その奥には、料金が高いからあきらめたけど、木造四階建ての、ど迫力の一条旅館というすごいのがひかえておるのだ。いつかあそこに泊まりたい。

↑一条旅館のすごさがいまいち写真に表せなかった。


角田までタクシーで出て(このときの増子さんなんて、あまりに熱心に観光案内をするあまり目的地をまちがえそうになった)、さてここからですよ。こっから先は、完全に私のわがままによる旅。
去年、祖母(みね子さん)が亡くなった際に知った驚愕の真実(ってほどでもないけど)、祖母が宮城県生まれだったということ。当時とっくに一族は北海道に入植してたはずなのに、戸籍で確認したら、なぜか生まれた届け出は宮城県伊具郡某村に出ていた。そんなことは家族のだれもが知らなかった。
当時の戸籍で番地まで分かるので、インターネットの便利さを生かして場所を調べ、わたしは角田駅からレンタサイクルで祖母の生家に向かったのでした。何の関係もないわっさんまでつきあわせ。おもしろがってくれるお友だちがいてほんとうによかった。
向かって、何をするでもない。宮城県のそのあたりにはきっと遠い親戚がいるのでしょうが、いままったく交流はありません。なんとなく、どんなところなのか見たくて。それだけで。
角田駅から自転車で20分くらいかな。田んぼのど真ん中を走り、ハードなあぜみちまで通って、たどりつきました。里山のへりのただの行き止まりの道に。くねくねの砂利道をはしっていくと看板が見えてきた。××建設資材置場。
××。おばあちゃんの旧姓でした。このときの、なんだか分からないわきあがる気持ちは表現不能。
家が一軒。
ちょうど外におじいちゃんがいて、ちょっと不審そうに見ている。

「こんにちは…ここってこの先は行き止まりですか?」
知ってるけど聞いてみる。
「んだねえ、行げねぇな」
「あの……」
なんか切り出しにくい。
「……?」
「私の祖母が……えーと、ここで生まれたみたいなんです」
「はーあ」
「それで、まあ、なんか、ちょっと来てみたくて……あの、××さんなんですよね」
「ええ」
「ああ……わあ……」
どうも言葉にならない。わきあがるだけ。
「こっちの山の上のほうに家あっだみてぇだけども、おらがここ来だときはもうながったからね」
「あ、じゃあ、そこ、かも……」
「うちはね、54番地ね」
「あ、生まれたのは、15番地みたいです」
「はあ、15番てのはわがんねけども、まあこの上の家はあっちにいちおう入口あっだみでぇだけども、おらが来だときにはもう家はながったね」
「ああ、ありがとうございました」

それだけです。それだけのやりとりのために往復10キロ強、自転車に乗ってきてよかった。家があったとされるところへの入口はもはややぶになってしまって、道としての機能も失っている。そこを写真に残し、そのやぶに向かって、なんとなく手を合わせてしまった。
88年前、祖母はここにいたんです。そこから北海道に渡り、道内各地を転々とし、戦争とともに横須賀に行ってちょっとハイカラさんになり、また北の田舎に戻り、子ができ、孫ができて子とともに関東に出て、そういう86年半のいちばん最初。
ずっとじわじわする。


そのあとは大河原へ。
大河原駅そばのお寺に、わたしがだいすきなだいすきな詩人が眠っている。祖父が宮城の大実業家、父は気弱で祖父のいいなり、そしてその子はひどいダメ男でアル中で浮気症で30過ぎまで仕送りだけで暮らしていたどうしようもないろくでなしの詩人の尾形亀之助です。
亀之助の墓所のあるお寺の住職(まだ40代くらい)は妙にノリのいい毒舌のおっちゃんで、「なに? わざわざお墓たずねに来たの? え、お線香は? はぁ〜っ持ってないの!? お墓に来たのに!(わたしはたしかに勢いで来たので、お線香さえ用意してなかった)で、どこから? えええっ東京から! ヘンだね、ほんとにヘンだねあなた!」
そして、尾形亀之助墓所を尋ねると、
「案内するけども……なに、詩人なの? え、詩集もあるの? いま持ってる?(ほんとに持ってたので渡してみる)はあああ〜っこんなの、あるんだー。いやー、ほんとお。へえー。これ、ふつうに売ってるの? ちょっとコピーさせてもらっていい?」と、どうも詩人の墓だということを本気で知らなかった様子。尾形家はたしかに、実業家の祖父の方がここでは有名なのかもしれない。橋の名前にも残っているし。
「コピーしてもらったお礼」と言いながら、住職はお線香をくれました。
「そらちゃん!ほれ案内してやって」
そらちゃんはお寺のわんこです。住職、かなり溺愛してる様子。そらちゃんはわっさんにものすごくなついていた。
尾形家の墓はけっこう大きくて、「尾形家」と彫ってある筆跡はわたしの記憶が正しければたぶん亀之助の筆跡だと思う。ダメな男だけど、すてきな詩を残してくれてありがとう。わたしはあなたの文をいつも心に敷いています。
手を合わせました。失礼だと思って、お墓は写真に残していない。
そこは実はかなり歴史あるお寺で、住職は中の仏像も拝ませてくれた。夕食時にかかりそうな時間に行ったにもかかわらず、ずいぶん丁寧に応対してくれ、軽妙なトークを聞かせてくれてほんとにありがたいです。
住職は「また来てよ。お茶でもしようよ」と言ってくれ、まるで寺らしくないそんなあいさつで私たちはわかれました。
そんな旅です。