ナチュラルについて

ナチュラルな態度が好き、ではあるんです。もちろん「自然」という言葉でもいいんですけど、どうもしっくりこなくて、ちょっと悔しい気分ではあるんですが外来語の「ナチュラル」を使うこととする。
あ、今回はロハスがどうとか、そういう言葉遊びはナシで本題行っちゃえ、長くなりそうだから。
そう、そんで、ナチュラルが好きなんですよ。
で、今の自分はナチュラルか? と考えて、とにかく自分にとってナチュラルなことを選択しなければならない、と思って、ふと止まって、「ナチュラルじゃなきゃいけない」と思ってること自体がもうナチュラルじゃないな、と思って、ああもうどうしたらいいんだ、と困ることもある。結果、ナチュラルか否かの件は忘れて、なるべく純粋な欲求に従うようにするんですけども。
やべー「ナチュラル」がゲシュタルト崩壊起こしてきたよ! がんばれ!
それで何が言いたいかって言うと、まあ私はオカマだけどなんとかかんとかっつうブログを書いていたらそれが出版社の方の目にとまって本を出すことになったんですけども、当初わたしは専業の文筆業なんぞになる気はなかった。私は文筆業を賤業だと思っておるのです(ほかの文筆業の方には申しわけないけれど、これが「ナチュラル」なのでしかたがない)。しかし、意外といろいろなお仕事をいただいたり、OLを辞めることになったりというどさくさの結果、能町みね子というてきとうにつけた名前のまま文を書いたりする仕事になってしまいました。
するとどうしても気にしてしまうのが「デビュー作」でして、なにしろアレでデビューした事実は消えないわけだから、同じ名前でやってる以上、アレの影は消えません。となると、とりあえずそれがどうでもよくなるくらいの二作目を作らなきゃいかんわけです。モテない系関係のことは、そういう意味も込めてやっていた部分もあるんです。
モテない系まわりのいろいろは、一応いろんなかたに「いいね」と言っていただけたので、ああよかったなと。結局デビュー作のアレのネタしかないんだろ、という勝手な自責からは逃れられたかな、って思ってるんです。
とはいえ、一作目がアレだという事実は消えないわけで。やっぱりどうしても避けよう避けようと思ってしまう。アレ関係の人だということはほめられるのもけなされるのも嫌だから、とにかくそういう件については仕事をしない、と強迫観念のように考えていた。まったく関係ないネタの仕事で引きつづき形を残していくか、文筆業をやめてまっとうな常勤のお仕事をするか、どっちかだと思っていました。
ただ、生まれがこんなふうである以上、どうしてもアレの件については人よりもたくさん考えているのが事実なんですよね。おもしろそうという興味本位の勢いに引きずられるように「四巨頭会談」もやってしまったし。
アレっておもしろいなあと人以上に思っているだろうし、アレの話をたまにはしたくなってしまうのも事実。だって、アレっておもしろいじゃん! 言いたいこともたくさんあるじゃん! 事実!
これはナチュラルなことなんだろうな、と、今日思った。
そういうメモです。
だから、私にとってナチュラルであれば、ちょっとはアレに触れることをしてもいいんじゃねえの、と思ったのが今日。あるすてきな方とメールをしていて、そう思った今日。
そして、それを押していきたいわけではないから、別に触れる必要のないところでは今までどおり特に触れない、と。それもナチュラル。
ナーチューリー。ナーチュラールーラー。(越冬つばめ


おへんじしたいメールもあるんですけど、それはまた後日で。
あと、下のは上の話題とあまりにも関係ない。ぐっだぐだ


しゃしん:横浜のすてきなマンションにあった看板(番地伏せてます)。"BIL"ってちょっと無理があるよ