きょうの考え

まあいま全裸なんですけど、それは毎日のことです。Qの仕事場で全裸でおりまして、クーラーもつけているんだよ。
わたしは夏のあいだ、全裸にならない日は皆無だといってよい(お風呂の時間は別として)。それは単に暑いからである。よくよく考えてみると、わたしは全裸であることに特に恥ずかしさを感じない。なんなら渋谷のまんなかで全裸でいてもいいのですが、なぜ渋谷のまんなかで全裸にならないかについて本気出して考えてみた。フレーズの元ネタが古いな。
一、逮捕されそうだから(なによりこれが問題です)。二、あまりにもじろじろ見られそうだから(これは全裸が恥ずかしいことと同義ではありません。単に渋谷で奇異な格好をするのが恥ずかしいのと同じくらいの意味です)。三、写真を撮られてネットに流されたらいやだから。四、いやがる人がいそうだから。
こんなもんでしょうか。
うーん。二は微妙ですね。二について考えていると、けっきょく全裸そのものが恥ずかしいのでは? という疑問もわいてきます。ただ、わたしは、たとえば渋谷でピンクの巨大アフロのヅラをかぶって歩くのもいやですが、それと同じくらいの嫌加減です。全裸であることが特段に嫌なわけではないと思います。三は、裸が流されるのが嫌なのではなく、裸でいることによって好奇の目で見られて写真が流出し、結果として顔が世界中に散るのがいやだと言うことです。
なんだなんだ。前の何行かは無駄だったような気がしてきました。要はなぜ私が全裸を恥ずかしくないかという話なんですが。
わたしは自分の裸に女としての魅力を一つも感じないからだな、と、最近気づいた。これを見て劣情をもよおす(いい言葉だなあ)男性は、わたしの考えのなかではひとりもいないということになっている。
だから、むしろわたしは女湯で全裸でいることのほうが恥ずかしい。みんな全裸だから、比較対象ができてしまうのです。あらゆる危険がないという保証があるんだったら、男湯で全裸でいることのほうがむしろ恥ずかしくないような気がします。もちろん見られるのが快感などという気持ちはまったくありません。見られるのはどちらかというと不快ですが、全裸でそこにいるということについての恥ずかしさはゼロです。
じぶんの無価値性についての話は何度も書いているような気がするのですが、ここにひとつの終結点があったように感じたので、メモをしておきました。


おへんじタイムです。
pkiさま。おへんじおそくてすいません。カタンさんのイベントのとき後ろの席から話しかけてくれたのがpkiさんですよね?
能生のちづるさま。わたしの本を読んだことがないと正直におっしゃっているのに、私にとってはなぜか妙に心に残るとてもうれしいメールでした。ありがとうございます。わたしの本など読まなくてかまいません。わたしはたぶん新潟ではなくて、富山の高岡にある地名から出たんだと思うんですが、新潟のそちらもいちおう名前は知っていました。あのへん好きです。海沿いの駅はすごく風情があって好きです。
ナン。さま。グータンうぜぇ! グータンはいやだ!笑 私は、いつまでも「でも、いいよね」と言われる私でいたいと思います。「でも」ってなんだよ。笑
福井さま。ありがとうございます。すべてのやる気がなくなっても、ふつうにっきだけはだらだらとつづけようと思っています。文章をほめられるのはとてもうれしいです。
藤原さま。残念ながらわたしはfirefoxユーザーなもんで……。しかし、便利なソフトがいろいろあるもんですね。例の文、載せるのがすごく遅くてごめんなさい! どうしてもタイムラグがうまれてしまうのです。
まぼろしさま。そのメール、ラジオのほうで使います! だいぶ先になっちゃうんですけど、すいません。てゆーか……あんなクソトーク(copyright 有吉さん)なのに、登録者数ふえすぎです。どうしよう。いいんだ、気にしないからね。


しゃしん:新宿明治通りぞいの良いビル