ふつうにっき

ああみなさま、しめきりを破ってごめんなさい。でもわたくしは充実しているのです。いまの生活満足度は高いのでございます。どうかおゆるしください。わたしのこの満足度に免じてお許しください。ええ、分かっているのです。いま満足を感じていても、なにかが転がった拍子にさっきまでの感覚が落とし穴に消えて、何に満足していたのかさえ分からなくなることがあります。その危険性はいつだって曲がり角の陰に見えています。でもわたしはいまここに満足があるというだけで、そのことに満足していて十分なので、これ以上何も考えなくていいのです。
あの、おしらせが完全に遅れてしまったのですが、「けものみち文庫2(←リンクはここでいいんでしょうか? おかしかったらごめんなさい)に、「本の山」について寄稿いたしました。筋金入りの読書嫌いですので、寄稿させてもらっていいのかしらなんて思いながら書きました。ほんとは年末に書くべきだったんですが、いまさらになりました。すみません。
いまさらつながりで。いまさら、映画の「グーグーだって猫である」を観ました。
うーん。言っていいのかな。言うよ。大島弓子先生の原作を読んでいなくて、たぶん原作は好きにちがいないと何の根拠もなく前置きしたうえで、言うよ。
映画は、ぜんぜん好きじゃなかったー。うわー。
加瀬亮さんは、好きです。しかし、どうやら私は加瀬さんの外見が好きみたいです。以前に「TOKYO!」を見たときも、加瀬さんがバカでポジティブな男子の役を演じているのにどうも違和感をおぼえ、今回は今回で妙に尊大な役をやっているのにものすごい違和感を覚えました。なんかぎこちなささえ感じた。(あきらかに年上の女の人に、初対面からタメ口ってふつうありえなくね? しかもその後も一貫してタメ口を崩さない。漫画で見れば違和感がないのかなあ……)
わたしのなかでは、加瀬さんは「不器用で無愛想で無口で、でもそれは単にシャイなだけで、実は芯のある優しい男」でなきゃダメみたいです。ごめんなさい。
あと、歯の浮くような表現がたくさんあって、そのたびに「なに〜、やっちまったな!!」という気分になってしまって、やめて! やめて! と恥ずかしくなりました。うっわクールポコ引用しちまった。出来心でやったことです。すいません。
たとえば、病気になった先生をみんなでポンポン持って応援しにきたり(入院してる時にあんなことやられたら鬱にならね?)。猫2匹があるいてるシーンに、妙な効果音(ほんとに意図不明。タラちゃんの足音のイメージ?)がついてたり。
ここで笑うんですよぉって感じが見えすいているのもイヤァァァッっていう気分になってしまう。彼氏の浮気を見つけて追いかけまわすシーンで、コミカルな音楽が流れコマ送り映像になったり。たまたまそこに居合わせたおじさんがなぜか女子高生の一団に加わったまま踊ってたり。あえて「ベタ」なのか、本気なのか、分からん。あと楳図先生のむだづかい。
うああケチばっかりつけてごめんなさいごめんなさい。たぶん期待値が高すぎたんだと思います。原作を読んでなかったのはむしろ幸いだったとおもいます。
ええ、私は不可(いけ)ない子です。映画にケチばかりつけるのは、私が不可ない子だからなのです。緑ちゃん、空、ごめんなさい。阿字子は、ほんとうに不可ない子ですわ。そう思い、阿字子は、またさめざめと涙を落すのであった。(いま、野溝七生子「山梔」を読んでいます。もんのすごい読みにくい文で、読書嫌いの私にとってはかなりの難敵です。でもおもしろいというか、放り出せない変な魅力があるので、時間をかけても読みきる決意でござる)

山梔 (講談社文芸文庫)

山梔 (講談社文芸文庫)

しゃしん:席のこのコンパクトさは昔の人の小さめの体を想起させます。