平凡にっき

nomuch2008-04-06

平凡平凡…
わたしだってよー、誰もがやったことのないことをやってみたいとか思う気持ちはあるのだ。誰かがやったようなことはできるだけやりたくない。平凡に生きたくないとか、人とちがった生き方がしたいとか、そういうことだってちらちらとは思っている。
でもさー、そういう考え方って、ほんっとにほんとに、ほんとうに平凡ですよね。
誰もがやったことのないことなんて、ないっちゅうの。もう人の文化の営みが何千年とつづいてきたわけで、もうあらかたやりつくされましたよ。そうして私は、芸術家でもないくせに、へろへろ〜んと力が抜けていって、なんかもーすんげー嫌んなっちゃった、全部やめたいなあ、と思ったりする。これも日常茶飯事で、だいたい私は週1か週2でぜんぶほったらかして新潟とかに行っちゃいたいって思う(わたしのなかで、なぜか逃げる地は新潟と決まっています。日本海の象徴)。
それでねえ、こういう考え方も同様に、平凡だとおもいます。新潟ってところだけは非凡かもしれないけど(うれしくない非凡だ)、だれだってぜんぶやめてどっか行っちゃいたいはずです。
そんなわけでいま平凡平凡のこだまのなかでわたしは寝っ転がっているからどこにも力が入りません。みんなすごいよ、こだまはないのか。こだまのない人が精力的になっているのか、こだまを打ち消すために精力的になっているのか。わたしは容易にこだまにやられます。
中原昌也ってSPA!になんか書いてましたよね? 映画評かなんか書いてますよね。いつも読んでるわけじゃないのでうろ覚えで書くんだけど、たまたま立ち読みしたときに、その映画評の1ページが、映画の内容を打棄って「気分がのらないからこんな原稿書けない、書いていられない」というような内容で埋まっていたことがあって、それだけで文字数を埋められる力はすごいとおもった。こだまにやられてもどうにか仕事にはするという処理力のはなし。
あと、酒井順子さんの「女子と鉄道」という本で、酒井さんは鉄道が好きといってるわりには電車ん中で寝まくって何にも見ていなかったりするのですが、どこかの地方の路線に行ったときのレポートが、ほとんど最初から最後まで寝てしまって何も憶えてなくて、でも「私と電車」みたいなテーマでどうにか文字数を埋めている。それには呆れを通りこしてすごいとおもった。
それと、江戸川乱歩をおとなになってからちくま文庫で読んでいたら、冒頭から謎や伏線らしきものをパンパンに張りまくっている作品があって、これだけつめこんでいったいどう処理するつもりだろうと思って見ていたら突然文章が終わって「スイマセン、盛りこみすぎて収拾つかなくなっちゃいました」的な謝罪文が載っているということがあって、これにも一本とられた。
何が書きたいのか分かんなくなってきたけど、要はまず第一にわたしはとりあえず仕事しろよっていうことと、まるでたくさん本を読んでる人のように思われそうだけどほんとわたし本は読まないから。読書嫌いですから、買いかぶらないようにおねがいいたします。ほんとに困るんです。本を出してる人だから当然あのくらいは読んでるでしょうっていう前提でしゃべられるとほんと泣きそうです。村上春樹を一冊も読んだことがなくてごめんなさい。嫌いとか好きとかじゃなくてただ単に読んでません。平凡平凡。テレビでも見てろ。字幕だらけの。一青。


しゃしん:住んでる人のことも考えずに、こういうのが好きだと言っています。


追記:ヤフーを見たらトップページにこんな記事がありました。

"サブカル"にハマると、人生はちょっとおもしろい
特定の集団の文化と思われてきた“サブカル”。多様化進む現代では、独自の視点で何かを語れる彼らがカッコいい!

なにこれなにこれー! 超きもちわるい! やめろ。カッコよくねえよ。サブカルなんてだせーんだからほっとけよ。うあー心底きもちわるい吐き気する。

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