すもうにっき

nomuch2007-11-14

今日のすもう:嘉風のうっちゃりがとてもきれい。安美錦がこんなに強くなるとは思わなかったのでつくづくうれしい。小城錦(中立)さんってこんなに解説うまかったんだ。魁皇は正直今場所で限界だとおもっていたのだけど、案外もちそうで、それもすごくうれしい。1年休んだあと出てきたときの貴乃花みたいなドキドキ感。


きほんてきに仕事をして1日が終わったという感です。よく働いているのではないでしょうか。
昨日見た恋愛睡眠のすすめのこと
友だちが「ガエルがほんとにかわいいから見ろ」ということでものすごく強く推されてDVDを借りたのですが、ほんとに超かわいかった。男版アメリといってもいいのではないでしょうか。それと、やっぱり小道具のすばらしさに心満たされますね。満足度は大。
でも私としては、もうちょっと悪くてわんぱくなガエルの方が好きかなー。天国の口、終りの楽園みたいな。でも、天国の口〜も見たのがずいぶん前だからストーリー忘れちまった。わたしはきほんてきに映画のストーリーをかたっぱしから忘れる。だから映画ずきではない。
すてきな本をいただきました。とってもうれしいです。宝物になるとおもいます。
さいきん私は多幸感にあふれているみたいよ、どうやら。べつに変な宗教をやるでもなく変なクスリをやるでもなくこんなにしあわせをかんじられて、そのことがしあわせだとおもう。しあわせっていうのは、よくある安直な話ではなくて、私はすごくよい物や事や人にかこまれているなあというしあわせ。それを、しみじみとスポンジに水が沁みるようにかんじる。こんなことはかつてなかったことです。反動なのかもしれない。すぐに忘れそうな気もするので、とにかくこの感覚は記しておきたい。
かといって、いままで特に不幸だと感じていたわけではない。ただ、ぬぐいがたい劣等感でじぶんを地の底に置いているという前提は不動のものとしてあって、けしきを卑屈に見ることで、いろんなことがぼかされてきた。卑屈に見ると深刻なことも笑えちゃったりするし、耐える耐えないの基準じゃないところでものを判断したりできる。そうやってなんでもフィルターを通してきたのだけど、フィルターなしでもいいんじゃないかな、と最近おもっているのかもしれない。ただ、劣等感はいれずみみたいなものだからどうせ消えないけどねえ。
あんまり自分を地の底に置くもんだから、たまにじぶんは何をしても許されるなんておもってしまうこともあって、このあいだちょっと失敗した、とおもう。それは大きな勘違いだから、もうそろそろわたしもふつうの人だっていう自覚を刻印しないとダメだなあとおもっています。
要はこういう暗号文みたいのを書くのが好きだってことだよな。うぜえよ。


しゃしん:いい家。とくに、塀と門がたまらん。