うらやましさの敷居のこと

nomuch2007-11-08

髪がくびすじにかかるのを感じるようになるとなにか女子の自覚が増える気がする。よし、キモいね。キモくいこうぜ、まだ20代。長くてうざいけどどうにか耐えて伸ばそうぜ。


わたしが、女友だちから魚喃キリコさんとかやまだないとさんとかの本を借りて読みまくっていたのはたしか22歳くらいのことだとおもう。わたしは魚喃さんとかないとさんの本を借りるばかりで、じぶんで買ったことはなかった。買わなかった。それは当時の私がそこまでに果てしない距離をかんじていたからなのでした、たぶん。買ったらつぶれてしまう気がした。私が。
だって、わたしはそういうマンガを読んでも、当時は「うらやましい」以外なんの感情もおもいつかなかったのでした。そのことにじぶんでも愕然とした。そのころの私といやあ若々しい青年であって、女子になろうなんて意識したこともなかったというのに、なぜかあの手のマンガを読むと「うらやましいうらやましい」という感情ばかりが肌を突きやぶって露出しそうになっていた。「うらやましい」が強くなるとほかの感情なんか見えなくなる。
主人公の女子がどんなひどい目に遭おうとも、ろくでもない男がたくさん出てこようとも、この人たちはわたしとはかけはなれた、私のぜったい手の届かないごくふつうのきらびやかな世界にいるように見えた。たぶんそれが殺したいくらいにうらやましかったのです。しかもそのときはその理由が分かってなくて、この不愉快な感情を友だちに告げるのもはばかられ、ねじふせるだけで、本を買わなければ抛っておけるとおもった。「西荻夫婦」を読んだときにいちどだけ、友だちに返すとき感想を聞かれて、正直に「ものすごくうらやましいとおもった」といったら怪訝な顔をされた。それはなんかちがう、といわれた記憶がある。
そのうらやましさというのも、生活のおしゃれ感とか男のかっこよさとかに対する薄っぺらなものではなくて、もっと、なんか、絶望的な、そびえたつ壁的なものなんです。露骨にいえないけど、当時、一生恋愛をしてはいけないと私はじぶんに義務として課していたので、諦観と絶望感がぐしゃぐしゃにからんでいた。そこを作品が突いてくる。当時のわたしを嗤いながら突いてくるんです。突かれすぎて、うらやましい、くやしい、っていうきもちばかりふくらんで繊細な感情なんてなくなる。
わたしはなにしろ「アメリ」劇場公開時に女友だちと見に行って、帰りに自然に「バイクの後ろに乗りたいな〜」っていったのだ。あの最後のシーンでニノのバイクの後ろに乗るアメリに感情移入する青年だったのです。いっしょにいった子に「おめーは運転するほうだろ。笑」ってつっこまれたんだ。こういう無意識を思い出すにつけ、わたしがこんなふうになったのは必然だったんだなー、っておもうのです。


こうしておちついたいまは、太宰治の女生徒も、もちろん魚喃マンガもないとマンガも、あのときうらやましさとくやしさだけで黒塗りされてなんだか分かんなくなっちゃった作品群が、とても明るい日の下で見ているような気分になる。うらやましさの敷居がものすごく下りてきて、わたしはごく平凡なきらびやかな世界にほとんど足を踏み入れた。やまだないとさんのマンガをたくさん買いました。


しゃしん:東屋代駅。のどか。2年前にいきました。